-赦すこと、赦されること-アニとボクと、時々、オヤジ

先日、地元に出張に行ったついでに、兄貴とご飯を食べた。
家族なのだから別に大した話では無いのだけど、僕にとっては、約20年越しの大イベントだった。
 
「甥達を傷つける事があれば、絶対に兄ちゃんを許さない。」
二人で最後に会話したのは確か6年前、地元のファミレスでだった。
こんな言葉を伝えたように覚えている。
兄貴なりに仕事も頑張っていて、結婚して子供も3人いたが、傍目にはどうにも頼りなく見えたので、釘を刺すつもりで、あえて強い言葉を伝えた。
兄貴はいつものようにニコニコして、ただ頷いていたが結局その1年後、3人の子供を置いて、家出同然で27年間住んでいた家を出て行った。(理由は色々と込み入ってるので省略)
タンザニアから帰国したばかりの僕は、姉と、両親と、東京で家族会議を開いて、
兄貴を縁を切ること、甥と姪を最優先にケアすることを決め、その後は連絡先も知らず、どこで何をしているかも知らず、僕らはそれぞれ、大きな心のしこりを抱えながら、日常生活に戻ろうと努力した。
 
僕と兄の関係がいつから悪くなったのかははっきり覚えていない。
小学校の時は一緒に遊んでたし、兄に対して悪い感情を覚えていなかったように思う。
兄が中学校に入って、父親が兄を叱る場面が増えた。
今考えると本当に大した理由では無いのだけれど、性根がストイックな親父は本家の長男として相応しい男にどうしても育って欲しかったのだろう。
小さい頃から体も弱くて、勉強も得意じゃなかった兄は親父によく叱られていた。
それに反抗する様に兄の問題行動も増えた。
親の財布からお金を抜いたり、夜遊びばかりしたり、家に遊びに来る兄の友人はタバコを吸っていて、ガラも悪くて、小学生の僕からすると不道徳的だったし、そんな奴らと付き合ってる兄が気持ち悪かった。(今振り返ると可愛いもんなんだけど)
県内1の進学校に行った、出来の良かった最年長の姉と比較もしていた。
周囲もそうだった。
兄としては当時相当辛かったろうなと、振り返ると思う。
 
兄の進学先、就職先は父親が決めてきた。
本来気の弱い兄は、強権的な父親に最後まで抵抗が出来なかったのだと思う。
なんなら高校で入る部活さえ父親が指定した。
父親としては親心で、息子に出来るだけ苦労をさせたく無いと思っていたのだろうけど、兄にとっては人生で選択肢を与えられなかったと感じていたに違いない。
「俺は親父のレールを走ってきた。」家出する前、兄は電話でこう話していた。
 
高校、そして専門学校を卒後し、就職してからも兄は、サラ金から金を借りたり、いわゆるデート商法みたいなものに引っかかったり、事故って車を2台廃車(幸いけが人が居なかった)にするなど、トラブルは絶えなかった。
その度に父親と喧嘩していた。
高校生になった僕は、一層冷めた目で兄を見る様になった。
包み隠さず言うと、トラブルメーカーな兄が早く事故で死んで居なくなれば、僕の人生順調に行くのにな。なんて思っていた。
 
絶縁した兄と再びコミュニケーションを取ろうと思ったのは、今の会社に入ってからだ。と、言うよりも、今の会社に入ったきっかけが兄、そして発達障害のある甥の存在だった。
熊本地震バングラのテロが発生した2016年、僕は今までになく切羽詰まっていた。
地震は思いっきり地元だったし、テロは良く行ってたレストランで起こったし、亡くなった人とも面識はあった。
「どこでも、いつでも自分は死ぬ」、「死ぬ前に何をやりたいのか?後悔することはないか?」なんて真剣に考えていた。
そして、死ぬ前に絶対こんな仕事をやるのは嫌だなと率直に思ったので、前職を辞めることにした。
 
LITALICOへの転職活動中(担当の武藤君が話していた事は正直あまり覚えていないのだが笑)、その時に発達障害の話を聞きながら、兄の事や、僕の地元の友人達を思い出していた。
僕より勉強は出来たのに、問題行動を起こしてしまうやつ、人前で話せないやつ、時間通りに起きれないやつ、注意欠陥ですぐ忘れ物をしちゃうやつ(僕)、じっと机の上にいるとすぐ寝るやつ(僕)。
兄貴も彼らも、なんなら僕も、同じように自分の特性で苦しみ、悩んでいたのではないか。
今まで完全に彼らの性格のせいだと思っていたけど、適切な対処法を知っていたらもっと良い将来の選択肢があったんじゃないか。
自分が死ぬ前に後悔するとしたら、兄貴との関係なんじゃないか?
もう修復出来ないかもしれないけど、僕の甥や姪たちが、兄と僕と同じ状況になったとしたら、僕は一体人生で何を学んだのだろう。甥と姪にそんな思いをさせたくない。
 
そんな事を考えて、今の会社に入社した。
はや二年と半年、お陰様で、良い仲間、パートナーの皆様に恵まれ、甥も姪もすくすくと成長し、そこそこ幸せな日々を過ごしていたのだけれど、兄の事がずっと心に引っかかっていた。
「お兄さんに会って、ちゃんと会話をした方が良いよ。」 こんな事を言ってくださるお客様も何人かいらっしゃった。
その度に苦笑いをして、「家族だとそんな簡単じゃないんだよ」なんて内心思っていた。
 
甥が先日、うちの会社のサービスを利用した。僕が何をしたという訳では無いけど、
甥の成長に少しでも貢献出来て良かったなと思った。
そんな事を考えていたら、お盆の時期に兄がふらっと家に寄ったらしい。
甥の成長を見て少し安心したので、次は兄との関係を清算しようと考えた。
 
久々にあった兄の見た目は全然変わってなかった。
安い居酒屋に入るが、下戸なのでウーロン茶を飲みながらタバコを吸っている。
あれからもう一度大きな事故をしたらしく、目の上に目立つ傷ができていた。
一緒の家で生活していた以外に共通の話題を持たない僕らは、
ぎこちないながらも近況を話し合った。
自分は何の為に兄に会っているのか?を結局定めきれずに、
ただ、これだけは伝えておきたいと、つらつらと今の会社で働いている経緯を話した。
兄は、ひとしきり頷いた後、自分が成長過程において辛かった事(主に父親からのプレッシャー)について話す。僕も頷く。
「今は、代行の運転手をやっていて、そのうち独立したい、そして子供の養育費を払いたい。」と言う。
ここで僕の感情が動いたが、とりあえず頷く。
「独立するときは出資するよ。なんなら営業手伝ってやるから。」
「兄貴のプライドがあるけん、お前には金を借りたく無い」
そんな事を最後に話して、タバコを貰い、握手をして兄と別れた。
 
今の感情をなんと表現するのか、まだ言葉は見つかってないけれど、あれだけ憎んでいた兄と会って、率直に会話をした事はとても良かったし、良い瞬間だった。
"赦された”って感情が近いのかなと思うのだけれど、もう少し時間が立たないと整理出来ないのかもしれない。
 
兄と話していて、どうして兄弟でこんなに違う人生を歩んだんだろうと考えていた。
彼の方が僕より真面目で、優しくて、字も綺麗で、言語能力は低く無いし、多分同じくらいズボラだ。
色々な仮説はあるけれど、あまり原因究明するのは生産的では無いし、
今出来る事から、僕が可能な範囲で関わっていこうと思った。
 
また、兄の様に、障害云々関係なく、ちょっとしたボタンのかけ違いで自分の思い通りの人生を歩めない人は、日本だけで何百万人も、もしかしたら何千万人も居るかもしれない。
そんな状況にならないのがベストだけれど、再チャレンジ出来る仕組みや、それを許容する社会が素敵だし、作る努力をしていきたいと再認識したので、コツコツ頑張る。
 
*小学校高学年に差し掛かる僕の甥や姪が、この文章を読んだ時にどう思うかは分からないけど、僕は君達が過去の出来事や、周りの声に捉われず、自分の幸せの為に生きてくれる事を願ってるよ。
 
写真1:会う直前、地元で。珍しく虹が二本出ていた。
 

f:id:kohshikuwahara1218:20190908234624j:plain

写真2:兄と僕

f:id:kohshikuwahara1218:20190908235105j:plain