ジャブ

他人からすると本当にどうでも良い事なのだけれど、昨夜、やっと、左ストレートが打てるようになった。
18歳で実戦をしなくなって、ボクシングが好きだけど上を目指す気も無く、趣味でやっていたのだが、どうしてもモチベがあがらない。
ならば、サウスポーに構えを変えてみようと二年前くらいからやり始めたのだけど、これが全くしっくりこない。
スポーツやった事ある人なら分かると思うのだけど、フォームの微修正だけでも結構大変じゃないですか。
逆構えでやるのって結構難しい。
 
で、だらだらとトレーニングだけしてたのだけれど、何故か昨日の晩、いきなり左ストレートがドンピシャのタイミングと威力で打てる様になった。
それまで全くのゼロ成長で、いきなりの変化に戸惑ったのだけれど、三十路を前にして、自分がまだ成長出来ると知れたのが純粋に嬉しかった。
 
最近転職して、周りは”半端なく”優秀だし、会社に対しても社会に対しても、自分が何も貢献出来なくて凹んでいる。
異業種だし、まあ凹むだろうなと思ってはいたけど、想定の五倍くらい凹んでいる。
 
そういえば、日本ランカーの人と最初に試合した時ってこんな気持ちだったなと思い出した。
そこそこ自信があって、「こいつに勝って名を上げる」とか思っていたのに、どう手を出しても、どこにどう動いても打たれる。
たまに当たったと思っても5倍は打たれて、文字通りボコられた。
その日は泣きじゃくって放心状態だったけれど、次の日から、基礎中の基礎であるジャブの練習を始めた。
 
色々偉そうなこと言ってきたし、もう29歳だけど、今回もジャブから練習しよう。
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世界の広さ

地元に帰ってから、実家の近所を良く散歩している。

 

僕の実家がある才木村。Google に聞いても、地区名以外何も出てこない。都市部ならどれだけ小さい道でも網羅しているGoogle mapでさえ、めっちゃざっくりとした地図を出してくる。

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ふと、歩きながら思い出したのだけど、小学校二年生まで、僕の世界はほぼ、この直径約1KMの範囲に限られていた。

地元の小学校の校則では、行動範囲を、学年毎に拡大していく仕組みになっていた。

確か2年生までが自分の村内、4年生までが自分の学区内、5年生になるとやっと城南町全域を移動出来ることになる。

僕らの住む才木村の中には自販機一つ無くて、どうしてもジュースとお菓子が買いたい僕らは、川向こうの地区にあるガソリンスタンドまで、保護者や村の皆に見つからないよう、細心の注意を払いながら移動していた。距離にすると一キロちょいなのだけれど、見つかると結構怒られるから。

9歳までの僕にとって、才木村の外は完全に外の世界だった。

 

それから歳をとるにつれて、僕の世界は物理的に広がっていった。

中学卒業と同時に自分の町から出て、高校卒業と同時に東京へ行き、ヨーロッパで学んで、東アフリカ、南アジアで働いた。

 

タンザニア時代。力を溜めたマサイは僕の5倍くらい飛ぶ。

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お菓子がほしいがために自分の村を出た小学生の時みたいに、僕は物理的に移動し続けることで、自分の知識欲や好奇心を満たしてきた。

ベンチャー企業で働いて疑似起業体験を得ようとしたのも、自分の世界を広げたいからだったと思う。

しかし、最近になって、「若いのに色々経験してるね」とか言われる事に結構な違和感を感じるようになった。

海外に住んでいる時よりも、日本に帰ってきてからの方が驚きが多かったからだ。

最近接点が増えてきた発達障害を持つ人や、LGBTの人、友人や、友人の子供、自分の家族でさえ、話す頻度が増えると、今更ながら発見が多く、そのたびに人の多様性ってのを再認識させられる。

アフリカまで行って、「人間ってやっぱどこまで行っても一緒だなー」と考えていた自分が、日本に帰ってきてすぐ「人間ってやっぱ全然違うなー」となったのが少し可笑しい。

 

なんてことを考えていたら、長崎に行った際立ち寄った遠藤周作文学館で、思想家シュタイナーの言葉が紹介されていた。

「人間は青年時代は肉体で世界を捉え、壮年の時は心と知で世界を捉えるが

、老年になると魂で世界を捕まえようとする。」

彼曰く、僕の青年期がどうやら黄昏を迎えているっぽい。

 

 

 地元の黄昏は、高い建物が無いので笑えるほどキレイだ。同じ色の夕焼けはまだ見たことが無い。

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ヴィパッサナー瞑想に参加して感じた事

昨年暮れ、12月28日から1月8日まで、ヴィパッサナー瞑想のコースに参加してきた。

http://www.jp.dhamma.org/?L=12

 

A.何故コースに参加しようと思ったのか?

1.集中力の向上が見込めそうだったから

2.仕事を二か月休んで暇なので、アクティビティを探していたから

3.うさん臭さが少なそう(変な思想とか押し付けられ無さそう)だったから

特に1は最近の自分にとって死活問題だった。

学生時代から、受験勉強に関しては折り紙付きの集中力の無さではあったが、本や映画に対する集中力は人よりあったし、一度世界に没頭すると、よほどの事が無い限り抜け出さなかった。

だけど、ここ数年は、何事にも集中出来なくなっている自分がいた。

本を読んでいる時、映画観ている時、人に会っている時、目の前のモノゴト、ヒトに集中出来ない自分がいた。別に急ぎの用も無いのにLineに返事が来ていないか気になったり、メールを見たり、人生のあらゆる局面でマルチタスクをしている自分がいて、そんな自分に嫌気がさしていたが、止められなかった。

10日間のこのコースは、携帯や本、筆記用具持ち込み、他者との会話さえ禁止されている。このコースに参加して、強制的にマルチタスクを止めようと思ったのだ。

 

B.コースの内容

「10日間、瞑想をし続ける」に尽きる。

ほぼ毎日、参加者は以下のスケジュールで行動する。人と話せず、何も持ち込めないので、瞑想をするか、寝るか、ご飯を食べているか、妄想するかの四択だ。

午前4時:      起床
午前4時30分~6時30分:   ホールまたは自分の部屋で瞑想
午前6時30分~8時:   朝食と休憩
午前8時~9時:   ホールにてグループ瞑想
午前9時~11時:   ホールまたは自分の部屋で瞑想
午前11時~12時*:   昼食
午後12時~1時:   休憩および指導者への質問
午後1時~2時30分:   ホールまたは自分の部屋で瞑想
午後2時30分~3時30分:   ホールにてグループ瞑想
午後3時30分~5時:   ホールまたは自分の部屋で瞑想
午後5時~6時:   ティータイム
午後6時~7時:   ホールにてグループ瞑想
午後7時~8時15分:   講話
午後8時15分~9時:   ホールにてグループ瞑想
午後9時~9時30分:   ホールにて質問
午後9時30分:   就寝
 
C.僕が参加した際の流れ
日記もつけていなかったのでうろ覚えで、間違っているかもしれないが、僕が参加した時は以下の様に進んだ。
 
Day1
夕方に千葉県の茂原駅に到着する。バスまでは少し時間があるので、近くのロッテリアで時間を潰す。コース中は一日2食で、しかもかなりの粗食と聞いたので、最後の晩餐にハンバーガーを食べた。参加者はヒッピーが多いのかとイメージしていたが、想像以上に、なんというか、社会のマジョリティ側にいるんだろうなーと感じる人が多い。バスの時間になり乗り込むが、参加者がスーツケースを運び込み、しかも30人くらい乗ってくるので、普段ガラガラであろうローカルバスはぎゅうぎゅう詰めで超満員。高齢の乗客は驚いていたが、彼らから見ると田舎に多種多様な多くの男女がいきなり集まって、しかもお互いに一言も喋らないのでかなり異様に見えるだろう。目的地周辺まで行き、それからボランティアのピストン輸送で目的地に着く。
到着し、プレハブの、30人分のベッドがぎっしりと並べられている共同部屋で荷物をほどいた後、食堂で明日以降何をするかのブリーフィングが行われた。
参加者は男女合わせて80名くらいだろうか。そして、有志のボランティア(瞑想しながら、参加者の食事や掃除などの世話をする)が十人くらい。海外からの参加者も10%程度いた。
べジのカレーが夕食で出たが、これはかなり美味しくて、翌日以降に希望が持てた。
 
 
Day2
朝四時に鐘が鳴らされ、起床。六時半までは自分のベッドの上で瞑想をしなければならないのだが、やり方も分からないので寝ていたら、見回りの人が来て起こされた。
その後朝食。味噌汁と、ごはんと、浅漬け、パン、調味料、リンゴ半切れが並べられている。The 粗食というメニュー。ほぼ毎日朝ごはんのメニューは変わらなかった。朝早いし、あまり食欲もわかないが、一日2食しか食べれないので、大事に食べる。
その後ホールでグループ瞑想、ここで瞑想方法の説明をしてくれる。
説明はシンプルで、鼻から出る息に、ただ集中。それ以外の雑念が色々出てくるが、雑念に気付いたら息への集中に戻す。この日はこれをずっとやる。
瞑想というものを初めて体験したが、自分の意識がこれほどまでに忙しいという事に驚愕した。十秒も息に集中出来ない。昨日見た映画や会った人間、漫画。取り留めも無く色々な絵や言葉が脳裏に浮かんできて、意識の集中を妨げる。
夜になって空を見上げたが、満点の星空だった。2016年は二回星を見に行ってどちらも天候不良で星が見れなかったのだけど、茂原は毎日星が見えた。今度から星を見るデートの時は、茂原に来ようと妄想したりした。
 
Day3
引き続き、昨日と同じ瞑想方法をやる。びっくりするほど、全くと言って集中出来ない。雑念の割合は九割人間関係だ。
そしてその九割が男女関係で、そんな自分にあきれていた。
あと、KOHHの別に好きでもない「Tatto入れたい」が頭の中でリフレインしている。
 
お昼ご飯の時、前に並んでいたアメリカ人が「oops」と小さく呟いて、僕の顔を見てきた。ボディランゲージや目線も含めて、コミュニケーションは全て禁止なので無視した。
炊飯器の前に行くと、彼の気持ちが理解出来た。ごはんが無いのだ。
並ぶ順番は確かに後ろの方ではあったが、まさか貴重なカロリー源であるごはんが足りなくなるとは。しかし、コミュニケーションが禁止なので、何の主張も出来ない。
奉仕者の方が気づいて後で追加され、少量食べられたが、この日を境に皆フライング気味に食堂に並ぶことになった。
 
Day4
瞑想のやり方に少し変更があった。今までは息だけに集中していたが、この日から上唇両端から鼻の上を結ぶ三角形に集中しろという事に。
そうすると、不思議な感覚が起こった。眉間の少し上が凄くもやもや、ぞわぞわしてきたのだ。この場所は所謂「第三の目」なのでテンションがあがる。
うわ、めっちゃ才能あるやん俺!と思って相談時間に先生に相談してみたら、「あ、それ今集中している場所の範囲外だから無視して。」と言われてシュンとなってしまった。
このインド人の先生、把握している限り英語、日本語、中国語を操る事が出来て、すごく現実主義で面白い人だった。
ある時、僕の前に座る人が先生に「瞑想している自分を見ている自分がいる」なんて相談したら「それ妄想だから呼吸に集中して。」とバッサリ切られていた。
彼のそういった姿勢から、原始仏教とは一切の神秘主義を排した、現実的で実践的なモノだという事を理解した。
 
Day5
瞑想に完全に飽きてしまった。帰りたい気持ちが凄い。実際、周りを見渡すと数人が減る。脱落者も出るというのはこういう事か。
夜の講話パートは、二時間座って、ブッダのエピソードを聞く。パワポにしたら五枚くらいで収まりそうな話を二時間に延ばすので、たとえ話もやたら多く、正直苦痛でしかなかった。時間を無駄に使うのは非合理だし、原始仏教っぽくないなと思っていたのだが、学の無い人にも分かりやすく説明するという事なのだろう。
雑念は引き続き消えないが、インプットがほぼ無いせいか、内容が記憶の深層へシフトしてきた。今まで一度も思い出さなかった人生のイベントがぽろぽろと脳裏に浮かんでは、頑張って意識を集中させる。
 
Day6
寝てるか妄想しているか瞑想しているかなので、このあたりから一日一食で良くなってきた。
朝ごはんを抜き出す。
瞑想も新しいステージに入り、頭のてっぺんからつま先まで、全身の皮膚感覚に神経を研ぎ澄ませ、一か所一か所点検していく。これが最後まで、非常に難しかった。
雑念は、記憶がいい加減出尽くしたのか、完全妄想モード。
 
 
Day7
もう、最高に飽きる。瞑想に最高に飽きた。帰りたい気持ちのピークだ。
ここで一割くらいの参加者が既に消えていた。僕も帰りたい。
ただ、お昼の瞑想中、自分史上最凶最悪の妄想に囚われる。
人に恨みを持ったことは数えきれないほどあったが、妄想であっても、自分がこれだけ邪悪な妄想を出来る事に驚愕した。仕事や、男女関係、怒り側のネガティブ妄想がどんどん増殖していく。
 
 
Day8
この日も引き続き怒りの感情が強い。先生が、瞑想をしていくと、浄化過程で、だんだん自分の負の感情が表に出てくると言っていたが、この事なのか。
後ろのインド人が突然泣き出して少し驚いた。
夜中にオジサンが「頑張って作ったんですからぁ」等と寝言を叫びだした。
ずっと座ってるか寝てるので、だんだん現実、妄想、夢の境界が曖昧になってくる。
 
 
Day9
妄想中に何故かふと、本当にふと、自分とは何かを考えた。
自分とは、縁や因果の結果で、かつ過程であるのだろうと。
ならば、関わってきた人がすべてが自分を作り出す要素なのではないか?
自分は個としては成立出来ず、他者との関係性の中にしか、自分というものは存在しないのならば、他者を含めた人間関係の輪が自分なのでは無いのかみたいなことをぐるぐると考えていた。
 
Day10
最終日。昨日の妄想の続きが、なんか胡散臭く聞こえるとあれなんですが、こう、感謝としか呼べないような感情につながる。
怒りの対象だった人に対して、彼らとの縁も今の自分という現象を作りだしていて、彼らの色々な行為に反応してきた結果が今の僕なんだなと。
親の欲情から生まれて、愛情、友情、怒り、嫉妬、色々なものに反応しながら自分というモノが変化していく。
この日の終わりには、怒りの感情はいつの間にか消えていて、自分の一部でもある彼らの幸せを願うという、不思議な体験だった。
 
Day11
この日の朝から会話が解禁される。色々な人に話してみる。瞑想の事や、日々の生活の事。サラリーマン、自営業、ヒッピーぽい人、工場で働く人など、ここへ来るきっかけも感じていることも多種多様で楽しい。ただ、皆雑念は最終日までやはり出てくること、男の人は結構な割合で女性の事を考えている事が多いという事も判明し、自分だけじゃないのだと安心した。
 
 
Day12
朝から掃除をして、コース終了。それぞれ岐路につく
 
 
D.その後の変化など
 
1.仏教、瞑想への理解が深まった。
これは僕の今の理解だが、簡単に説明すると、ブッダの説いた事は信仰などでは無く、以下だと思う。
「事実→反応→感情という流れが人間を不幸にしている。瞑想という精神集中を行い、反応→感情の流れを断ち切り、事実のみを見るようにすれば、不幸にはならない。」
事実に対して、人間は様々な反応をする。
例えば、ある日、雪が降ったとする。雪が降ったことはただの事象で、現実だが、人によってそれは色々な感情を引き起こす。「靴が濡れて不快」だの「寒くて嫌」だの、雪にまつわる様々な記憶を思い出したりだろう。もちろん、楽しい思い出もある。それは、事実でなく、全て自分の頭の中で起こっている妄想である。
事実に対して、妄想の余地を無くす。その為に精神集中をする。そうする事で、人は楽に生きられる様になる。
ただ、もう一つ気づいたのは、瞑想というのは訓練なので、上記の境地に至るまでの道のりははるか長いという事。
開脚したいならストレッチを毎日続けるのと一緒で、これは毎日やらないと意味が無いです。別に参加したから悟りがひらけるわけでは全くなく、日々瞑想して、事実と反応を切り分ける訓練を続けていかないと、すぐ反応しやすい状態に逆戻りしてしまう。
日々の生活が楽にならないと全く実践的では無いであるが、毎日の瞑想、これは東京生活でかなりハードルが高い。
 
2.マルチタスクは減った
実際減りました。携帯触る時間も減った。というか、欲望の総量が減った気がする。
 
3.怒りが減った
これは、仕事しだすと戻りそうなので気を付ける。
 
4.ご飯が美味しく感じる
味わって食べるようになる。
 
5.体重は減らなかった
 10日間、べジ食で一日2食、もしくは1食だったのに、体重は減らなかった。
逆に言うと、別に三食食べなくてもあんまり支障ないという事だろう。
 
E.結論
しんどかったけど、また機会があれば参加したいと思った。
あれほど、自分だけと対話できる時間を取るのは東京生活では難しかったし、自分の脳みそが想像以上に騒がしいという気づきも面白かった。悟りとは言わないが、瞑想から得られる効用も、十分実用的だなと感じた。
10日間という長い期間だけど、もし行けるなら、僕の友人達には是非進めたい。
もし行ったら、感想を教えてください。